1972年10月、成毛はギターを弾こうとする度に誰かとケンカをする事になる日本の状況に嫌気がさし、日本での活動はあきらめてロンドンへ行った。しかしギターを弾きたくてロンドンへ行った成毛にとってこの時期は不運が重なった。
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成毛がロンドンでライブを見に行くとどのバンドも主役はキーボードで、ギタリストは居ないか、居ても端の方でフォークギターでコードを弾いているぐらいだった。 |
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それでも成毛は"Melody Maker"や"New Musical Express"等の音楽紙でギタリスト募集広告を見付け、オーディションを受けて幾つかのバンドに加入してみたが、どのバンドも練習スタジオでリハーサルするばかりで仕事はめったに無く、メンバーはみんな靴屋とかジーンズ屋でアルバイトをして生活費を稼いでいた。
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そして成毛がキーボードも弾けると言うと、「じゃお前キーボードを弾けよ」と言われ、「ロンドンでやって行くにはキーボードを弾くしかない」と、成毛は小さいピアノを買って自分のフラットに置き、キーボードの練習を始めた。
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そのうちジョー・コッカーのマネージャーが「今度うちのバンドのクリス・ステイントンが抜けるんで後釜のキーボードを探してるんだが、お前やる気はないか?」と言ってきた。成毛は一瞬「やった!」と思ったが、次に「Working
Permission(労働許可)は持ってるか?」と訊かれて「無い」と答えると、「じゃダメだ。残念だな‥」と言われて話は終わってしまった。 もう一つ不運だったのは、当時のイギリスには失業ミュージシャンが溢れ、イギリス政府とミュージシャンズ・ユニオン(音楽家組合)が「イギリスから外国人のミュージシャンを追い出そう」という運動を強化していた時だった事で、成毛はプロモーターや弁護士に「どうすればWorking
Permissionを取れるか?」と訊いてみたが、誰にきいても「今はWorking Permissionを既に持っていても更新するのは難しく、新たに申請して取るのはまず不可能だ」と言われた。
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そうこうするうちに観光ヴィザで2年以上もイギリスに居たのがバレて「10日以内にイギリスから出て行け」と通告されてしまい、「これ以上居てもイギリスで活動できる見込みは無い」と成毛はフラットを引き払い、'75年2月、渋々日本へ帰った。 |
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[Multi-Keyboard]
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《Alone In My Room》 |
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(12.2MB Quick Time Movie 3:18) | |||||||||||||||
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《Enter The Dragon》 |
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